デジャブの原因は何なのか?既視感の理由は記憶のメカニズムにある?
なんかこの光景、前に見たような?
あれ?これって前にも経験したような気がする‥‥
日常生活で稀に起こる現象「デジャブ」。
不思議な感覚に陥りますし、いったい何故こんな現象が起きるのか不思議に思いますよね。
デジャブはなぜ起こるのか?
その原因について調べてみました。
デジャブ(既視感)とは何か?
デジャブとは、“実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じること"をさします。
日本語で既視感とも言われます。
デジャブという言葉は、1917年にフランスの心理学者「エミール・ブワラック」により提唱されて、広まったものです。
デジャブはフランス語で「すでに見たことがある」という意味です。
心理学や脳神経学でも注目されている現象ですが、現象自体を再現することが困難なため、現在でも原理が詳しく解明されているわけではありません。
デジャブは、およそ6~7割の人が経験しているというデータがあります。
また、年齢を重ねるにつれてデジャブを感じる頻度が減ると言われており、特に起こりやすいのは15~25歳の人が多いようです。
ちなみに、デジャブとは逆の現象として、「ジャメヴ」(未視感)というものがあります。
ジャメヴは、見慣れたはずのものが未知のものに感じられる現象のことを指します。
デジャブが起こる原因として有力な説
記憶の断片情報からの錯覚
デジャブが起こる原因として、もっとも有力視されているのが記憶の断片情報によって起こる錯覚という説です。
人間の体験や記憶というのは、細分化されて脳内に保管されます。
「いつ・どこで・誰が・どんなことをした」といった情報は、流れや塊といった形ではなく、それぞれが個別の情報として脳内に保存されるのです。
そして、これらの断片的な情報は関連する記憶として、お互いが神経回路ネットワークで繋がれます。
「春、下校途中に友達Aとアイスを食べた」という体験
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「春」「下校」「友達A」「アイス」といった断片的な情報が、それぞれ個別に脳にインプットされる。
これら4つの要素はすべて関連する事象であるため、お互いが神経回路で接続される。
記憶を思い出す時には、この神経回路ネットワークに電流が流れ、ひとつひとつの事象を繋げていくことで記憶を蘇らせます。
しかし、人間の脳の回路には、良く思い出す記憶の回路は強化され、あまり使わない記憶の回路は次第に弱まり、最後には切れてしまうという特徴があります。
先の例でいうと、月日が経過することで「春」「友達A」という回路が切れた場合、「下校」「アイス」という記憶だけが断片的に残ってしまう、といったことが起こります。
昔の記憶でも、重要な部分以外がだんだんと思い出せなくなってくるのは、こうした記憶のメカニズムによるものです。
そして月日が流れて「夏、友達Bと下校途中にアイスを食べに行った」とします。
このとき、「下校」「アイス」といった情報は残っているために昔の記憶が蘇りますが、「春」「友達A」の回路はすでに切れてしまっているため、よく思い出すことができません。
そのため、春ではなく夏、友達AではなくBという違いがあるにもかかわらず、残っている記憶が一致しているので同じような体験をした覚えがあると脳が錯覚を起こしてしまうのです。
その結果「前にも友達Bと一緒にアイスを食べた気がする」といった、デジャブを感じることになるのです。
記憶の断片がデジャブのトリガーになる
脳に残っている記憶の断片は、デジャブを引き起こすトリガーとして機能することがあるといいます。
たとえば、初めて来たはずの知人の家なのに、なぜか家の中の風景に不思議な懐かしさを感じたとします。
この場合、知人の家に置いてあった椅子が、昔よく遊びに行った祖母の家に置いてあった椅子と酷似していて、それを目にしたことで昔の懐かしさが呼び起こされた、といった可能性が考えられます。
これと同じように、昔住んでいた家の香りとよく似た香りを感じた際、「自分はこの場所を知っているのでは?」と感じてしまう場合があります。
これらの例のように、他の要素すべてが自分が未知であることを示してたとしても、たったひとつの要素が断片記憶と一致しただけで、さも知っているかのような感覚に陥ってしまうのが人間の脳なのです。
脳は時として間違った記憶を生み出す
こうした断片的な記憶による錯覚では、時として別の記憶が結びつき、間違った記憶を生み出してしまうこともあるといいます。
たとえば、どこかの観光地に行った際に「あれ?前にも来たような気がするぞ?」と感じたとします。
過去に一度も行ったことがない場所なのに、建造物の配置などをなぜか覚えていたりすると、とても不気味に感じることでしょう。
この場合、記憶の錯覚では説明できないような気がしますが、脳が別の記憶を体験として誤認識しているという可能性が考えられます。
実は過去にテレビでその観光地の旅番組を見ていて、その際に観光地の細かい情報が脳にインプットされていて、それを自分の体験と勘違いしているのです。
時が経過して、観光地の記憶の中で「テレビで見た」という記憶回路が切れてしまうと、建物のイメージや観光地の情報のみが脳内に残ってしまいます。
この状態で観光地へ行くと、目で見た風景と観光地のイメージ記憶が結びついて情報は出てくるものの、「テレビで得た情報」という部分が抜け落ちてしまっているため、「なぜかわからないけど知っている」という状態に陥ります。
記憶に引っかかっている断片的な情報を引っ張り出してはみたものの、脳はそれを何故自分が知っているのか忘れてしまっているのです。
そして、自分を納得させるために「知っているなら過去に体験しているはず」と思い込んだ結果、デジャブになってしまうと考えられます。
人間の記憶は断片的なものである以上、情報源の記憶が失われてしまった記憶というのは、体験によるものかどうかの区別がつきません。
そのため、「本で見た」「人から聞いた」「テレビで見た」「夢で見た」などの情報であっても、場合によっては自分の体験に置き換わってしまうことがあるのです。
デジャブの原因とされる他の仮説
「脳の断片情報による錯覚」は、人間の脳のメカニズムから導き出されたひとつの仮説です。
それなりに有力な説ではあるものの、デジャブの原理が完全に解明されたわけではないので、あくまでも推論のひとつに過ぎません。
これ以外にもさまざまな仮説があるので、それらについても見ていきましょう。
科学的見地からの仮説
左右の目の認識スピードの差
人間は左右の目で世界を見ていますが、左目と右目の認識の速度の差がデジャブの原因ではないかという説です。
一般的に、片方の目が常に先に物事を認識・記憶し、もう片方の目は少し遅れて物事を認識するとされています。
このわずかに生じる認識スピードの差によって、脳が「以前に記憶した情報である」と誤認しているのがデジャブの正体ではないかというのです。
しかし、この説は視覚情報に限定されてしまっており、触覚や聴覚、味覚などによってデジャブが起こる理由を説明することができません。
また、たとえ目が見えない人であってもデジャブ体験は起こるとされているため、根拠に乏しい説とされています。
無意識下での予測
デジャブ体験は、賢い人ほど起こりやすいとされています。
賢い人は頭の回転が早いので、次に何が起こるのかを無意識下で予測しており、それが実際に起きた際にデジャブを感じてしまうという説です。
しかし、この説は再現性に難があるため、裏づけがとれないという欠点を抱えています。
くわえて、仮にそういった能力があったとしても、脳ですら気付かない無意識下での予測をどうやって実証するのかという問題があります。
ちなみにこの説には、脳の予測のほかにも、第六感や未来予知といったものも含まれるため、科学だけでなくオカルト的な側面も含んだ説となっています。
オカルト的見地からの仮説
霊的な存在の憑依
死者の魂が人間の体に入り込み、その人の記憶を自分の記憶だと錯覚して、デジャブを起こしているという説。
前世の記憶
人間は輪廻転生しており、前世のかすかに残った記憶がデジャブの原因であるという説。
意識の共有・共鳴
人間は知らない間にテレパシーなどで意識を共有しており、人の体験や知識が伝わって、それをあたかも自分の体験であると錯覚しているという説。
説明のつかない事象とオカルト的側面
前項のオカルト的な仮説などは、人によっては「バカバカしい」と感じるかもしれません。
しかし、一見すると荒唐無稽に見えるこれらのオカルト説も、一概には否定できない側面があります。
なぜなら世の中には、オカルトでも使わない限り到底説明できないような、奇妙な出来事がいくつも存在しているからです。
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上記の事例のように、本来知りえるはずのない記憶を持っている人間の存在は、たびたび確認されています。
こういった事例については、記憶の錯覚だけでは到底納得いくだけの説明をすることができません。
たとえデジャブの大半が錯覚であったとしても、「前世の記憶を持っている人間がいる」という可能性は、完全には否定することができないのです。
こういった不可解な事象の存在によって、通常なら一蹴されるであろうオカルト説であっても、一定の説得力を持ってしまうのが何とも面白いところ。
研究が進み、いつか人間の脳に秘められた秘密が解き明かされる日がくることを期待しましょう。